〈2014.12.25.No.91/河野和典〉

P-1_会場入口案内

会場入口の写真展案内

 2014年4月29日~5月25日の会期を6月8日まで延長して東京・目黒のギャラリーコスモスで開催された「新山清と時代を共有した写真家の写真展-1」は、新山 清を中心とした12名の写真家が、戦後間もない頃の1950年から60年代に制作したと思われるモノクローム写真を集結させた写真展であった。そしてその作品の中身は、いずれも申し合わせたかのような進取の気性に富んだ、それぞれが主体性を発揮させた作品群であった。これらの作品にはあとに述べるが、当時はやりかけた主観主義写真の息吹が根底にあったようだ。

 今回展の12名の写真家は、アメリカ生まれで鳥取県米子出身の杵島 隆は別格として、その他の11名は全国的にその名を轟かせた人たちというわけではない。いずれもいわゆる「知る人ぞ知る」といった地味な活動をされていた写真家なので、以下、簡単に紹介しておこう。
P-2_ギャラリーCOSMOSの展示
 ギャラリーCOSMOSの展示 
P-3b_銀龍社を偲ぶ会
いずれも新山清と親交のあった「銀龍社を偲ぶ会」の面々。前列右から樋口忠男、石井幸之助、
秋山庄太郎、桑原甲子雄、田辺良雄、菊地俊吉、中村立行、梶原髙男、
後列右より緑川洋一、赤穂英一、笹本恒子、赤穂千代、植田正治、佐伯啓三郎
(『樋口忠男遺作集[昭和イメージ劇場]』より) 

  今や創立100年を超える伝統ある写真集団・東京写真研究会の会長を務めた赤穂英一、主に日光の風景をメリハリの効いたファインプリントで展開したやはり東京写真研究会メンバーの清岡惣一、風景写真を新鮮な眼差しで紹介し解説した魚住 励、広島写真界の雄で主観主義写真で名を馳せた大藤 薫、同じく広島出身で主観主義写真に名を連ねた原本康三、新山 清に師事した四国愛媛の宮野慎一、東京でコマーシャルスタジオを構えて時の実験的なグラフィック集団と東京写真研究会に所属していた八木 治、さらには関西を代表する丹平写真倶楽部やシュピーゲル写真家協会創立者のひとりであった棚橋紫水、現代美術家であり写真家であり写真評論家でもあった永田一脩、棚橋紫水と共にシュピーゲル写真家協会の一員で終戦直後岩宮武二とコンビを組んでいた堀内初太郎といった面々である。

 この写真展で発表された作品群は、小規模ではあるけれども、ある意味で日本の写真のある時期(1950-1960)に新風を吹き込んでいる。それと同時に、くっきりと写真の多様性をも示し、その足跡を残した写真家たちといっても過言ではないであろう。「類は友を呼ぶ」と言ったところである。今展は、新山清の子息でありコスモスインターナショナルとギャラリーコスモスを運営する新山洋一のコーディネートによって実現した注目の写真展であった。

P-3a_新山清-最後の遺影

新山清(最後の遺影)1969年、徐清波撮影

新山 清のプロフィール

 新山 清(1911-1969)は、愛媛県に生まれ、東京電気専門学校卒業後、1935(昭和10)年に理化学研究所に入社し、1936年にパーレット6.3付きで写真にめざめる。すぐにパーレット同人会へ入り、写真に情熱を傾ける。写真雑誌のフォトコンテストをはじめ、大日本サロン、アシヤサロン、国画展、国際写真サロン、パーレット同人会、研展(東京写真研究会主催)、東京美術協会展、全関西サロン、アメリカ・ポピュラーフォトコンテスト、ロンドンおよびパリサロン、二科展などにことごとく入選しアマチュア写真家として頭角を現す。その後、全日本写真連盟役員、東京写真研究会審査委員などとして全国アマチュアの指導にも活躍する。

 1958(昭和33)年、旭光学に入社し、東京サービスセンター所長として多くの第一線写真家たちと親交を持つ。しかし、1969(昭和44)年5月、東京で精神異常者の兇刃に倒れ急逝する。

 この略歴からすると、単なるフォトコンテストあらしのアマチュア作家と思われるかも知れないが、それはとんでもない。急逝した年に、濱谷 浩をはじめ植田正治や緑川洋一らの後押しで新山 清遺作展が開催され、遺作集『木石の詩』が出版されたことからも、その人柄の良さと、数多くの優れた作品を遺されていたことが推察される。事実、その後、新山洋一が発行した2冊の写真集『新山清の世界vol.1 パーレット時代1937~1952』(2008年11月、日本カメラ社)と『新山 清の世界vol.2 ソルントン時代1947~1969』(2010年11月、コスモスインターナショナル)がそれを証明している。

P-4_写真集パーレット時代

写真集『新山清の世界vol.1 パーレット時代1937~1952』
(2008年11月、日本カメラ社、定価3,600円+税)

P-5_写真集ソルントン時代

写真集『新山清の世界vol.2 ソルントン時代1947~1969』
(2010年11月、コスモスインターナショナル、定価3,600円+税)

新山 清作品の魅力

 新山 清作品の素晴らしさは、空間処理の巧みさによる力強い構成力、造形性にあるだろう。風景をはじめ、人物、樹木、石などあらゆるものに好奇の眼を向けて、極めて個性的で瑞々しい作品に仕上げている。写真家ハービー・山口は、写真集『新山清の世界vol.2 ソルントン時代1947~1969』に「新山清の作品を見ると、我々のこころは素直になる。それは新山清が素直な人間であり、その作品も素直だからである。構図、光のコントロール、表情の掴み方、そのすべてが素直な写真的センスに裏打ちされている。写真表現がますます多様化する現代にあって、『基本に立ち帰れ!』と新山清は叫んでいるのではないだろうか。」と一文を寄せている。

 新山 清作品は、1950年代の初め、ドイツの主観主義写真の提唱者オットー・シュタイナート(シュタイネルト)の眼に止まり、いち早くヨーロッパに紹介されている。新山洋一によれば、現在もドイツのギャラリーから引き合いがあるという。日本独特の風情を捉えながらも、その作品からあふれる温かみ、ユーモアといったものは万国共通に感じ取られるものなのだ。

 ちなみに主観主義写真については、「『サンケイカメラ』は、55年から56年にかけて、カメラ雑誌のなかでもこの動向を積極的にとりあげ、56年末には同誌主催の『国際主観主義写真展』が、東京、日本橋高島屋で開催されています。この展覧会は、シュタイネルトが選んだ14カ国、75名の作品に、瀧口修造、阿部展也、樋口忠男、本庄光郎ら約40名によって結成された日本主観主義写真連盟の会員の作品、奈良原一高、今井寿恵、一村哲也、石元泰博、植田正治、後藤啓一郎、大辻清司らの作品が加えられたものでした。」(『戦後日本写真史第3回/nikkor club #167 1999 early spring:102-105 This text by 上野修 ueno osamu』)とある。

 このときの写真展図録を見ると、池 五郎「サンタクロース」、石元泰博「無題」とか奈良原一高「樹」、植田正治「ナガチーブ〝C〟」など斬新な作品が並ぶが、「主観主義写真」と言っても特段に法則があるわけではなく、既存の客観主義にとらわれることなく、あくまでも主体的に取り組んだ作品、という意味合いのようである。

 戦前、戦中、戦後に撮影された新山清作品は、パーレットにはじまりソルントン時代を経て晩年の35ミリ一眼レフまで、いまだ発表されていない作品もあって膨大な数に昇る。これからもその個性的な魅力に触れる機会はまだまだありそうである。

 そして、これからも年に1回は「新山清と時代を共有した写真家の写真展」を開催するというから、今後も大いに注目される。(文中敬称略)
 

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*今回の記事は『日本写真家協会会報 NO.157』の連載「写真×写真」より転載させていただきました。