〈20151116/河野和典〉
仕事柄なるべく多くの写真を見るようにつとめているつもりだが、最近、いくつかの写真を見ていて、「あぁ、写真は見ているようで見てないなぁ」と実感させられることが何度かつづいた。一つは、昨年発行された『photographers' gallery press no.12』で特集された「爆心地の写真1945-1952」。松重美人の原爆投下直後の広島の写真。広島平和記念資料館へも行って見ているはずなのだが、「あぁ原爆の写真ね」と何も疑問に思わず通り過ぎていた。今回、同誌の座談会を読み、その写真が持つ意味までをも含めて、見ているようで見ていないものだ、と改めて痛感させられた。二つ目は、同じphotographers' galleryだが、こちらは増山たづ子写真展「ミナシマイのあとに」であった。キャビネサイズのプリントが狭い会場に1列に約50点ほど並べられていたが、新調されたようにピッタリと収まった木製の額がひときわ目を引いたので尋ねると、IZU PHOTO MUSEUMでの展示(増山たづ子「すべて写真になる日まで」2013年10月6日 – 2014年7月27日)をそのまま借りてきたという。所変われば品変わるであろうけれど、私は一体どこに目をつけているのかと思ってしまう。
そんな折、「《写真》見えるもの/見えないもの #02」展(2015年7月13日-8月1日、東京芸術大学大学美術館 陳列館)は、とても意味深長であった。
「《写真》見えるもの/見えないもの #02」展で自作を解説する佐藤時啓
●「ひたすら生起することを待っている写真群」
鈴木理策写真展「水鏡」(2015年7月23日-9月5日、Gallery Koyanagi)、「意識の流れ」(2015年7月18日-9月23日、東京オペラシティアートギャラリー)同「水鏡」の展示(手前床にあるのはヴィデオ展示)
デビュー当時の鈴木作品の印象は、あたかも動画(Movie)の1コマをピックアップしたような写真、それも今まさにパン(カメラを左右に動かす)寸前のコマ、あるいはまた間欠撮影によって映画的に撮影する新たな人だ、という印象があった。それが今や「水鏡」でも「意識の流れ」でも堂々と見事に静止画と動画を同時に展開して見せるようになった。そして静止画の中には動きを、あるいは動画の中には静止した場面を巧みに取り込んでいる。東京オペラシティアートギャラリーでのインタビューに応えて鈴木は、「私にとっては動画も写真、つまり連続する写真なのです。」と述べている。画家のデイヴィッド・ホックニーはポラロイドを使ってプールを泳ぐ人を連続撮影して時間と空間を超越したが、鈴木理策は静止画と動画を融合させることで新たな表現力を獲得している。そしてそれは、単に見せ方だけの問題ではない。当然、撮影においても静止画が動画に、動画が静止画に影響を及ぼしていると想像される。時間の芸術と言われる写真だが、新たな局面を示しているといっても決してオーバーではないであろう。
●孤島の『童暦』
山下恒夫写真展「続 島想い」(2015年9月8日-17日、コニカミノルタプラザ ギャラリーC)1961年東京生まれの山下恒夫が初めて沖縄を訪れたのは大学2年生、1982年というから、もう33年を数える。タイトルは「続 島想い」だが、実際は「続・続・続・・・島想い」の気持であろう。会場には8×10判のカラープリント59点が並び、案内には「今回の展示は沖縄県八重山諸島にある周囲約4kmの鳩間島と諸島最大の島西表島にありながら船で渡らなければたどり着けない陸の孤島船浮集落で2012年以降に撮影した写真です。」とある。前回この会場での展示から引き続き撮影された続編である。周囲を海に囲まれたまさに孤島の日常生活が子どもを中心にまるで日記のように語られている。しかも、作品はスッキリと、歯切れ良く、的確で、かと言ってぎらついたところはまったくなく、作者独特のやさしさに溢れている。写真の合間に掲げられた「山羊つぶしのこと」「凜太朗君のこと」「太陽君のこと」「カマイ猟のこと」という四つのエッセイも見事に写真と調和している。この作品を見てすぐ思い浮かべたのは、『童暦』である。そう山陰の植田正治が地元の子どもを中心にまとめた作品集である。山下恒夫は大柄な植田正治と違って細身だが、やさしさはそっくりである。
*今回の記事は、『nikkor club 236号』に掲載の連載エッセイ「続「写真」いま、ここに─❽」を転載させていただきました。