2017年03月

 あまり過剰反応しては良くないけれど、2017年の世界情勢は、お正月から不穏な状況を醸し出している。イギリスのEU(European Unionヨーロッパ連合)離脱をはじめとするヨーロッパの情勢は混沌としているし、世界的なISのテロ活動もあるが、なんと言ってもその原因は、アメリカのトランプ大統領の発言と行動に代表されるだろう。先人の英知がなんとか築いてきた世界情勢のバランスを、日本流に言えば、あたかもちゃぶ台をひっくり返すような勢いである。あらゆる面で狭くなった地球上で、「共生」ではなく「対立」をあおるようなナショナリズムは、未来への希望を閉ざすことにほかならない。
 写真分野においては昨年、すぐれたアーカイブに基づく特に海外写真家の素晴らしい写真展が目立ったが、今年は日本の先達ともいうべき写真家の作品をもっともっと観る機会を増やして、知られざる先人の秀作にお目にかかりたいものである。


1_粟生田弓『写真をアートにした男』B

石原悦郎とツァイト・フォトを描くことで1978~2016年の写真史の一翼を表す

粟生田 弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン

(2016年10月、定価2,200円+税、小学館)

 私は昨年3月2日のfacebookに、石原悦郎*の葬儀の一報を受けて次のようなコメントを投稿した。「ツァイト・フォト・サロンのオーナーである石原悦郎さんが2016年2月27日、肝不全で亡くなられました。享年74歳でした。私にとって思い出深いのは、1978年知り合いの写真家の紹介で銀座のカフェで最初にお目にかかったときの印象です。当時、美術畑で活躍されていた石原さんでしたが、会うなり『これからは写真だ、日本橋三越前に写真のギャラリーを開設するのでよろしく』という主旨の話を情熱的に話されたことでした。ギャラリー開設当初は、海外ではマン・レイ、ブラッサイ、国内では木村伊兵衛、植田正治、桑原甲子雄など、故人や大御所のファイン・プリントが並びましたが、そのうちつぎの時代を担う森山大道、荒木経惟、北井一夫さんをはじめ、安齊重男、石内都、杉浦邦恵、井津建郎、柴田敏雄、畠山直哉、オノデラユキ、鷹野隆大、尾仲浩二、楢橋朝子、佐藤時啓さんなど若手写真家へと移って行き、併せて新鋭の写真評論家であった故・平木収、飯沢耕太郎、金子隆一さんなどとも積極的に付き合われ、国内屈指の注目の写真ギャラリーへと発展させました。美術はもちろんのこと、クラシック音楽やさまざまなクリエーティブ分野に造詣が深く、その豊かな知性と感性に基づく眼力の鋭さにより、写真の未来を常に模索されていたように思われます。ご冥福をお祈り申し上げます。」というものであった。正確には後述する図録『ZEIT-FOTO SALON 1978-2016』を見ると、オープン当初に展示された日本人写真家は最初が小泉定弘、つづいて北井一夫であった。

 本書の著者である粟生田弓**の「追悼・石原悦郎さん──あとがきにかえて」の冒頭によれば、「本書は、長年石原さんの右腕としてツァイト・フォトを支えてこられた鈴木利佳さんより、『石原さんの本をつくりたい』とお話を受けたことにはじまりました。おおよそ4年ほど前からインタビューを開始し、この1、2年間は毎週土曜日に石原さんとの対話の時間をもたせていただきました。在籍していたのは2006年から2008年という短い期間ではありましたが、じつは私も元スタッフで、知り合ってからちょうど10年が経ちます。」とあるように、著者の石原への取材は長期間におよび、その内容は──「石原悦郎の生い立ち」にはじまり、画廊時代、日本で最初の写真画廊ツァイト・フォト・サロンの開設、「つくば写真美術館」の設立と失敗、再チャレンジ、「写真家たちとつくる新しい写真」への情熱、「コレクションに託された未来」──にわたり克明に書き起こされ、そこには石原とツァイト・フォト・サロンの情熱に惹き寄せられた多くの写真家、評論家、写真および美術関係者の名前が飛び交い、1978~2016年の写真史の一端が記録されている。第5章「つくば写真美術館の夢と現実」には石原自らが手書きで綴った「筑波写真美術館(仮)設立趣旨」なる草稿原稿(A4レポート用紙7枚)からの一部が登場するが、その文章には『核心は写真家個々の知的な問題意識が独創的形式でしっかりと表現されているか否かということに尽きます』とある。これはまさに石原とツァイト・フォト・サロンの写真に対するポリシーである。

 親子以上に年の差のある粟生田と石原だが、いわば本書は二人の合作と言えよう。写真史にとって一翼を表すと記したが、その比重は、数パーセントどころではないことを留めておこう。
2_『ZEIT-FOTO SALON 1978-2016』B
 

3_「友人作家が集う−石原悦郎追悼展」案内B
                       まるでレコードジャケットとレコードを思わせる「友人作家が集う-石原悦郎追悼展」案内状

 併せて昨年9月から年末にかけて3回「友人作家が集う-石原悦郎追悼展」が開催され、同時にこれまでツァイト・フォト・サロンと姉妹ギャラリーイル・テンポ(il tempo)で開催された全展覧会の案内はがきが掲載された図録『ZEIT-FOTO SALON 1978-2016』(2016年9月、定価1,500円(税込)、ZEIT-FOTO SALON)が刊行されたことを報告しておこう。


*石原悦郎(いしはら えつろう):1941年東京都生まれ。立教大学法学部卒。卒業後欧州に遊学、フランスの古典芸術に魅せられる。ギャルリー・ムカイ、自由が丘画廊を経て独立。1978年に東京・日本橋室町に日本で最初のコマーシャル・フォト・ギャラリーであるZEIT-FOTO SALONを創設。フランス、アメリカをはじめとする海外作家の紹介や日本人作家の発掘に尽力し、日本に「オリジナル・プリント」という考え方を広める。2000年代に入ると中国や韓国といったアジア圏で自身のコレクション展を企画し、大きな影響を与えた。また、絵画やワイマール期のSPレコードの収集家としても知られる。2016年2月27日、肝不全により亡くなる。

**粟生田 弓(あおた ゆみ):1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。メディア論を学ぶ。在学中にツァイト・フォトのスタッフとなり、画廊のプレス・リリースや展覧会用カタログなど執筆に関わり、その後独立。2010年ファッション・ブランドRIVORAを立ち上げ現在に至る。編著に『1985/写真がアートになったとき』(青弓社、2014)

〈以上、『写真をアートにした男』より一部アレンジし抜粋させていただいた〉


4_北井一夫『写真家の記憶の抽斗』B


 つぎに紹介するのは、ツァイト・フォト・サロン開設当初から最後まで石原悦郎と行動を共にした北井一夫のエッセイ集である。

実直でオープンな写真家のエッセイ集

『写真家の記憶の抽斗 北井一夫』

(2017年1月、定価1,600円+税、日本カメラ社)

 北井一夫(1944-)は言わずと知れた第1回(1975年度)木村伊兵衛写真賞受賞者である。私の中では横須賀の原子力潜水艦寄港反対闘争をテーマとした写真集『抵抗』や『アサヒカメラ』における新東京国際空港反対闘争『三里塚』、そして受賞作『村へ』という作品からドキュメンタリー写真家の印象が強く、アート主体のツァイト・フォト・サロンとは結び付かなかったのだが、石原とはツァイトオープン前の1977年からの付き合いだそうで、早くも79年1月の「浦安」の写真展から登場している。

 このエッセイ集の表題「抽斗」は「ひきだし」と読む。2014年5月から2年間『週間読書人』に「記憶の抽斗」として連載された600字のエッセイ100編をまとめたものである。ある写真家に言わせると北井一夫ほど実直でオープンな写真家はいない、と聞いていたが、本書を読むとそれがよく分かる。特に「夕暮銚子」(「いつか見た風景」)に登場する荒木経惟とのやりとりは短文ながら二人の性格がとても象徴的に表されていて思わず吹き出してしまう。全編にわたって写真にまつわるエッセンスが詰まっている。


5_吉田昭二『TRANSPARENCY』B


裸身と化した花のきらめきを写し止める

吉田昭二写真集『TRANSPARENCY』

(2017年1月、定価3,000円+税、日本カメラ社)

 作者はあとがきに「花の仮の姿を捉えるのは・・・ 動きの中の一瞬と、光と、目線が重なった時である」と記している。それで思い出されるのは、かつて(2002年7月から)銀座ニコンサロンで開催された公開講座に登場した宗教学者で哲学者の中沢新一の講演である。紹介されたのは土門拳の撮影エピソード。鎌倉東慶寺の仏像撮影の現場に出くわしたときのことだ。車椅子でカメラを構え助手に指示していたという。「突然助手に向かって『ここだ!』というのです。その時僕は『ここ』の意味がわからなかったのですが、その後、土門拳の助手をしていた写真家の篠山紀信と話をした時に、こんな話を聞きました。──僕はカメラのセッティングをして何時間も構えているのですが、横に座っている土門さんが突然『今だ、篠山君。仏像が走った』と言うのです。その『仏像が走った』瞬間にシャッターを押さないといけないんです──と。あの人の写真は仏像が走り出す瞬間を撮るんだと言いました。」「こういう写真を見て私たちは非常に驚きます。私たちの目や認識、記憶では、写真の写すこの一瞬を捉えることができないからです。カメラが短時間にスライスした現実を私たちは写真で見ますが、私たちの認識はこの光景を『そのもの』としか捉えません。写真とは、私たちの認識の中のすっぽり空いた穴や瞬間を捉えることができるメディアなのだと思います。」という鋭い指摘であった。

 吉田の花の写真は、まさに水中を漂いながら見せる花の一瞬の輝きを見事に捉えている。その透明感漂う花は、写真集『花たち』(1990年)から近年の『花化粧』『花宇宙』『Beat 2』(2003~2012年)まで、花の美を、独自の手法で追い求めてきたからできた技に違いない。


6_小池英文写真集『瀬戸内家族』B


「日々平々凡々」の「一瞬の輝き」を表す

小池英文写真展&写真集『瀬戸内家族』

(2017年1月14日~1月23日、コニカミノルタプラザギャラリーC/2017年1月、定価3,300円+税、冬青社)

 コニカミノルタプラザの最後を飾るにふさわしい写真展であった。昨年銀座ニコンサロンで開催された広島の藤岡亜弥写真展「川はゆく広島」や山口の下瀬信雄「つきをゆびさすII」、あるいはまたもっと端的には、このコニカミノルタの同じ会場で2015年に展示された沖縄の鳩間島と西表島の船浮集落を取材した山下恒夫「続 島想い shimaumui continued」の“瀬戸内版”といえるような作品である。日々平々凡々と生活し生きることがどれほど貴重なことかを、これまた平々凡々に表す写真の何とすがすがしいことかを示している。しかし、この「平々凡々」を表すのは思っているほど簡単ではない。いや、とてもむつかしい。前述の吉田昭二の花の作品と同じように、あるいはまた中沢新一が指摘したように“特技”とも言える「瞬間を捉える」のが写真であるからだ。平々凡々とシャッターを切っても求める瞬間は写らない。小池英文の1点1点にはやはり、「一瞬の輝き」が見事に写し止められているのだ。


7_古賀絵里子『TRYADHVAN』B


入り混じる混沌とした過去・現在・未来

古賀絵里子写真集『tryadhvan』

(2016年10月、定価6,000円+税、赤々舎)

 当たり前のことではあるけれど、誰しもこの世の中には知っていることよりも、知らないことのほうがはるかに多い。古賀絵里子は前作のカラー作品集『一山』から新境地に入り、この作品では寺に嫁いで子供を産み、またさらなる新境地に入ったようである。ここには、いまを精一杯に生きる古賀絵里子の日常における多くの想いが、まるで走馬燈を見るかのようにつぎつぎと、モノクロームの映像で展開する。その有様は、昨年の写真展(エモン・フォトギャラリー)での構成よりはるかに進化したものとなっていて、その変幻自在ともいえる構成力が素晴らしい。巻末の竹内万里子の解説には、「本書のタイトルである『Tryadhvan(トリャドヴァン)』とは、サンスクリット語で過去世・現在世・未来世を指す『三世』を表す仏教語」とあった。

nikkor club 244
*この記事は私が連載する『nikkor club 244』の写真交差点 Photo Intersection Vol.6 》より転載させていただきました。

 前号163号では写真のアーカイブが、いま写真に携わる人にとって如何に重要かをいくつかの写真展──フランスのジャック=アンリ・ラルティーグ「幸せの瞬間をつかまえて」、ブラジルの大原治雄「ブラジルの光、家族の風景」、ペルーの「マルティン・チャンビ」、メキシコのマヌエル・アルバレス・ブラボ「メキシコ、静かなる光と時」──などを例にみてきた(というより端的に言えば、見応えある写真展、特に回顧展などは優れたアーカイブ抜きには実現しにくいということである)が、今号では2016年に出版された二つの写真集を通じて、アーカイブの元となる写真の記録性について考えてみたい。

 一つは中村征夫(なかむら・いくお、1945年-)の写真集『遙かなるグルクン』、もう一つは太田順一(おおた・じゅんいち、1950年-)の写真集『遺された家 ─家族の記憶』である。ちょっとオーバーな言い方にはなるけれども、この時代──高齢化、少子化、過疎化──にあって、ある意味では広い世の中からすると特異な生活の一端を表すものかも知れないが、二つの、そのすくいあげられクローズアップされた人間社会の記録は、変化する今の社会を象徴していると言っても過言でない。

 ライブ感という意味では写真展に軍配が挙がるけれど、写真の最大の特性である記録性からすれば、写真集という媒体が重要であることは言うまでもない。前号でも述べたとおり、重要記録を保存・活用し、未来に伝達することがアーカイブの役割とすれば、共にご両人の写真史においても欠くことのできない貴重な記録と言えよう。


10_中村征夫写真集『遙かなるグルクン』


消えゆく追い込み漁の姿を32年間に渡り記録

中村征夫写真集『遙かなるグルクン』

(2016年4月、日経ナショナルジオグラフィック社)

 グルクンは沖縄の県魚である。まずその魚と漁法について写真集冒頭の巻頭言から多少アレンジして引用させていただこう。「魚の名はタカサゴ。インド洋、西太平洋の珊瑚礁や岩礁域に広く分布し、海中を俊敏に泳ぐ。(沖縄では)重要な食用魚であることから、捕獲にあたっては様々な漁法が考案されてきた。とくに糸満が発祥の地とされるアギヤー(追い込み漁)は、ウミンチュ(海人)たちが潜水し、彼方から巨大な袋網にグルクンを追い込むという勇壮な漁である。凪の日も時化の日も大海原を駆け巡り、グルクン一筋に命を賭けるウミンチュたちを、私は追い続けた。」とある。

 中村征夫は優れた水中写真家である。しかし、この大海原の「水深10~50メートル付近に多く生息し俊敏に泳ぐ」というグルクンと、それを追いかけ格闘する漁師を右に左に、上へ下へと追いかける撮影は、そのスケールといいスピードといい、さらには体力といい、これまでの水中写真の枠を超える厳しさを感じさせる。

2_中村征夫写真集『遙かなるグルクン』P51より
        写真集『遙かなるグルクン』51ページより 

 この写真集の大きな特徴は、夜明け前から出漁、網張り、追い込み、収穫、帰港までの一部始終、そしてそれに留まらず網やフィンなどの道具類、サバニ(漁の舟)、漁師一人一人の佇まいまで、水中から舟上、陸上に至るまで幅広くそして奥深く取材していることである。特に何人かのピックアップされた個性的な漁師への密着したアプローチは、このグルクン漁の過酷さ厳しさを象徴するものになっている。さらに言えば、モノクロームによる描写は、余分な感情を排するかのように直截で的確、この厳しい漁をスケール豊かに、そしてダイナミックに表現している。

 中村征夫の素晴らしさは、これまでの『全・東京湾』『海中顔面博覧会』(第13回木村伊兵衛写真賞)、NHKラジオドキュメンタリー『鎮魂奥尻・水中写真家中村征夫の証言』(第9回文化庁芸術作品賞)、『カムイの海』(第12回東川写真賞特別賞)、『海のなかへ』(第28回講談社出版文化賞写真賞)、『海中2万7000時間の旅』(2007年度日本写真協会賞年度賞、第26回土門拳賞)を見ても、彼が一貫して海のドキュメンタリストだということである。本作は、グルクン一筋に命を賭けるウミンチュ同様、「海のドキュメンタリー」に命を賭ける中村征夫の、ことのほか貴重で見事な仕事である。


3_太田順一写真集『遺された家』


記憶を辿るように今を写す

太田順一写真集『遺された家 家族の記憶』

(2016年12月、海風社)

 太田順一はこれまで写真集『女たちの猪飼野』(1987年)をはじめ、『大阪ウチナーンチュ』(1996年)、『ハンセン病療養所 隔離の90年』(1999年第12回写真の会賞)、『ハンセン病療養所 百年の居場所』(2002年)、『化外の花』(2004年度日本写真協会賞第1回作家賞)、『群衆のまち』(2007年)、『父の日記』(2010年第34回伊奈信男賞)、前作『無常の菅原商店街』(2015年)、さらには著書『ぼくは写真家になる』、『写真家 井上青龍の時代』(2013年)などの注目作を上梓している。 

 これらは、タイトルからは何の脈絡も感じられないが、差別や、疎外された存在、高齢化と共に失われてゆく記憶、極めて個性的な写真家から見えてくるこれまた個性的な友人や関係者たち、災害による生と死──を捉えた写真や著述からは、「人間とは何か」に突きあたる。しかもそれらの記憶は、時代と共に流動・変化し、記録なしには瞬く間に失われることとなる。

4_太田順一写真集『遺された家──家族の記憶』P68より
        写真集『遺された家──家族の記憶』68ページより

 今回の写真集『遺された家 家族の記憶』は、〈まえがき〉で「この六年ほど、私はつてを頼って『空き家』を訪ねてきました。/(略)空き家といっても、(略)廃屋ではありません。かつて住人が使っていた家具や生活用品がまだそのまま残っていて、肉親など関係者が時折訪れては維持管理をしている、そんな家です。/空き家は『遺品』だと私は考えます。(略)家という遺品が秘めている遠い日の記憶を写しとりたい、と願ったのでした。」とあるように、ここには取材された14家の外観と室内が各10点前後の写真で構成されている。撮影地は京都(4家)、奈良(3家)、大阪(2家)、広島(2家)、和歌山、三重、山口(以上1家)におよぶ。各家とも家主の好み・趣味・個性が表出していてとても興味深い。冒頭にも述べたとおり、少子高齢化・過疎化もあり、急激な家族関係、いや家族に留まらず人間関係の希薄化、流動化が訪れている今、この記録からは、それこそ「家族とは何か」や、孤独死や無縁仏にも通じるものを感じさせられる。

 太田順一の写真系譜を見てくると、本作はこれまでの延長線上にあることは間違いないが、これまで以上に、今を留める写真の特性にこれほど合致する被写体もあったものかと感心させられる。そうした機知に富む写真家・太田順一の特性は、写真で哲学する写真家と言うことができよう。


写真家一人一人が問われる写真アーカイブ

 一時、「自分史」なる言葉がよく聞かれたが、最近はあまり聞かない。自分史を文字で記録するのも価値はあるが、自分が精魂傾けた写真作品を遺すのは、どんなに個人的な写真であっても、自分を語るよりも客観的で価値があるだろう。それはプロ・アマを問わないのはもちろんである。しかし、その記録された自身の様々な写真を前にすると、言うは易く行うは難しである。本協会の「写真保存センター」の専門家に相談するのも良いだろうが、まずはご自身で、コツコツとコンタクトプリントや撮影データを整理して作品目録を作ることからはじめなければならない。そして出来れば、1冊でも良いから写真集にまとめられることをお薦めしたい。

日本写真家協会会報164
*今回の記事は『日本写真家協会会報164号』より私の連載《写真×写真》(第12回目)記事を一部訂正して転載させていただきました。

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