パリ、ニューヨーク、ニューオーリンズ、東京を撮影した11人の写真家
私が写真にめざめて最初に「都市」──というよりこの場合は“都会”と言ったほうが適切だと思うが──を意識させられた写真は、森山大道が1年間担当した1970年『アサヒカメラ』の表紙であった。
中でも印象的だったのは、ここに掲げた8月号の表紙。黄色いミニのワンピースを着て路上をさっそうと歩く女性の後ろ姿を捉えた写真は、その斜めに傾きブレた描写の画面からは、このうえなく“いま”を感じさせる写真として、当時とても驚かされた。それは高度経済成長時代の雰囲気を醸し出す、スピーディーな都会の動きそのものであったし、ミニスカートの女王として1960年代後半から世界的に脚光を浴びていたツイッギーをも連想させ、臨場感溢れるこの写真のインパクトは強烈であった。
森山の写真は「アレ、ブレ、ボケ」と言われたけれど、その内容は現代都市を的確にとらえ、すこぶるシャープであった。
いま、われわれは「都市の世紀」に生きている、と言われる。都市に向かう人の流れは加速し、人口500万人以上の「メガシティー」が世界各地に生まれている。変貌する都市や人々の姿を写し続けてきた写真家は非常に多い。
今回は、「都市を撮る写真家」としてパリ、ニューヨーク、ニューオーリンズ、東京の4都市を撮影した11人の写真家に絞って作品を紹介することとしよう。すでに森山大道は紹介したので残るは10人である。
パリのアジェとブラッサイ
まずは、ウジェーヌ・アジェ(ATGET, Jean Eugène Auguste 1857-1927)。彼は、1839年に写真(ダゲレオタイプ)が誕生して間もなくフランス南西部ボルドー近くの町リブルヌに生まれた。1890年の初頭パリでアパートのドアに「芸術家のための資料」という看板を掲げて、「写真によるパリのコレクション」を始める。
アジェ写真の最大の特徴は、写真の最大の特性である記録性をいかんなく発揮していること。路上で商いをする人のシリーズをはじめ、建築物のファサード(装飾された正面)、内階段の装飾などを組み立て暗箱とガラス乾板を使い、丹念に撮影した。
生前、アジェはほとんど無名だったが、幸運なことに多くの写真は、マン・レイのアシスタントをしていたベレニス・アボット(1898-1991)らの尽力により散逸を免れた。1930年に写真集『アジェ パリの写真』が刊行され、1968年にはニューヨーク近代美術館が彼のコレクションを収蔵。19世紀の世界的な都、パリの貴重な文化の記録を保存(アーカイブ)した。
パリを写したもう一人の写真家ブラッサイ(BRASSAÏ 1899-1984)は、本名をジュラ・ハラースというが、今橋映子著『〈パリ写真〉の世紀』(2003年、白水社)によれば、「出身地はハンガリー東部、トランシルヴァニア地方の都市ブラッショー(ブラッサイは『ブラッショーの』という意)である」。
ブラッサイ バル・ミュゼット 1932 『夜のパリ』より
作品では、都市の夜を描いた傑作写真集『夜のパリ』(1932年)が有名だが、写真集『ピカソの彫刻』(1949年)や『落書き』(1961年)など、多岐にわたる。
しかし、私をもっとも惹き付けたのは、写真集『1930年代秘密のパリ』(1979年)である。ここでは、夜のパリの一角にある娼婦館にブラッサイが乗り込み、全裸の娼婦をつぎつぎと登場させている。
これらの写真は、今橋の著書『ブラッサイ パリの越境者』(2007年、同)によれば、近年やらせであることが判明したそうだが、フィクションかノンフィクションかの問題よりも、見るものをその館に引きずり込むようなリアリティ溢れる描写が素晴らしい。これもまた、都市が包み込む多面性を表していると言えるであろう。
ニューヨークのファイニンガーと
ニューオーリンズのフランク
つづいてはアメリカの対照的な2都市を撮影した、対照的な2人の写真家である。
アメリカ東海岸の近代的な大都市、ニューヨークをとらえたアンドレアス・ファイニンガー(Andreas Feininger 1906-1999)は、パリ生まれ。1920年代にドイツの先進的な教育機関、バウハウスで建築を学び、建築家としてル・コルビュジエの事務所から巣立つ。1940年代にアメリカへ渡り、戦時情報局での写真撮影員を経て、グラフ雑誌『ライフ』のスタッフカメラマンとして活躍。ユニークな経歴の写真家である。
アンドレアス・ファイニンガー Downtown Manhattan am Abend, New York, 1940
写真集『New York in the Forties』より
写真集『ファイニンガーの完全なる写真』(1969年、毎日新聞)を見ると、科学的なテクニックを駆使したシャープで様ざまな被写体の写真に驚かされる。ここに紹介の写真集『New York in the Forties』の「マンハッタンのスカイラインとブルックリン橋」では、建築家と報道写真家の見方がミックスしたようなニューヨークのビル群が巨視的にダイナミックに表現されていて、「都市」を象徴している。
アメリカ南部の都市ニューオーリンズなどをとらえたロバート・フランク(Robert Frank 1924-)は、スイス出身で、1947年にアメリカに移住し写真家となった。1955年グッゲンハイム奨学金を受給してアメリカ中を撮影。写真集『THE AMERICANS アメリカ人』(1958年、Robert Delpire)にまとめる。
STEIDOL社によって2016年復刻されたロバート・フランク写真集『THE AMERICANS』アメリカ各地の日常をスナップした写真の数々は、アメリカの多様な側面を、「ヨーロッパ人の」とても冷静な目で切り取ったもので、大きな反響を得た。多くの人間が集まる都市の一面を見事にクローズアップして、見る者に突きつける。
今年93歳になるフランクだが、昨年11月、東京藝術大学で開催された展示を見ても、後続の、特に若者に対するカリスマ性は、いまだ衰えていないようだ。
東京に取り組んだ桑原甲子雄、木村伊兵衛、東松照明、高梨豊、児玉房子、石元泰博
次は、東京を表現した6人の日本人写真家と作品を紹介しよう。
1936年に起こった2.26事件を撮影した桑原甲子雄(1913-2007)は、木村伊兵衛よりひとまわり後輩の同郷人で、東京の下町を克明にスナップした。
戦前は『アサヒカメラ』などの月例写真コンテストでアマチュア写真家として活躍し、戦後はアルスの『カメラ』誌の編集長に就任。以後、『サンケイカメラ』『カメラ芸術』などの編集長を務めた。
木村伊兵衛(1901-1974)は、言わずと知れた東京・下谷(現台東区)の出身で、スナップの名手として戦前戦後を通じて日本を代表する写真家である。
ここに紹介の写真は、写真集『街角』(1981年、ニッコールクラブ)に掲載のもの。近距離からの人物スナップではなく、神田の町を俯瞰して写しためずらしい1949年の作品である。
東松照明(1930-2012)は、名古屋市出身。戦後を代表するシリアスフォトグラファーの一人。写真集『〈11時02分〉NAGASAKI』(1966年)、『日本』(1967年)、『太陽の鉛筆』(1975年)などの傑作写真集も数多いが、晩年は「長崎マンダラ」をはじめ「沖縄マンダラ」「愛知曼荼羅」「Tokyo 曼荼羅」展と、都市の写真展を開催したのも特長的。
ここに採り上げた「街頭テレビ 東京・新橋駅前広場」(1954)は、「Tokyo 曼荼羅」展の一枚。写真の見せ方はいうまでもなく、大胆で斬新、切り口の鋭さが見る者の目を奪う。
高梨豊(1935-)は、東京市牛込区(現新宿区)の生まれ。日大芸術学部写真学科卒業後、八木治スタジオに就職し、かの実験精神に溢れる写真家・大辻清司に出会う。アドセンター、日本デザインセンター、そして中平卓馬、多木浩二、岡田隆彦、森山大道らとの「プロヴォーク」誌を経ながらも大辻に師事する。
2009年東京国立近代美術館で開催された「光のフィールドノート」に展示された「SOMETHIN' ELSE」「オツカレサマ」「東京人」「都市へ」「町」「都市のテキスト 新宿」「初國」「都の貌」「next」「地名論」「ノスタルジア」「WINDSCAPE」「囲市」「silver passin'」を通して見ると、いずれをとっても哲学的であり、実験精神に溢れている。
児玉房子(1945-)は、和歌山市生まれ。出会いは桑沢デザイン研究所だが、高梨豊同様に大辻清司に教えを受けた一人である。代表作のひとつである写真集『千年後には、東京』(1992年、現代書館)は、大胆で行動力に富む「東京論」の写真の傑作だ。
このなかの《SHIBUYA》は、現在の「肖像権」の前に立ちすくむ若い写真家たちを吹き飛ばすようだ。
最後に登場の石元泰博(1921-2012)は、サンフランシスコで生まれ、シカゴ・インスティテュート・オブ・デザインで写真を学び、戦後の日本を代表する写真家となった。そのたぐいまれな造形力から生み出された写真集『ある日ある所』(1958年)、『シカゴ、シカゴ』(1969年)、『両界曼荼羅 東寺蔵 国宝「伝真言院両界曼荼羅の世界』(1977年)『桂離宮 空間と形』(1983年)は、いずれも傑作の誉れが高い。
掲載の『シブヤ、シブヤ』(2007年、平凡社)もまた、都市に暮らす人間を凝縮、象徴化して、これまた傑作である。
故きを温ねて新しきを知る
100年以上前の「パリのアジェ」から、21世紀に入ってからの「東京の石元泰博」まで、11人の先人の作品を目の前にして思うことは、何十年も写真に携わっていても、いまだ知っているようで知らない、見ているようでよく見ていない、多くの写真家とその作品があることに愕然とさせられたことである。
おそらく写真上達の極意は、過去のさまざまな名作のなかにたくさん詰まっている。いまを生きる私たちは、写真の表層だけを取り替えて新しがっているが、本質的には大して進歩していないのではないか。いや、退歩しているかもしれぬ、とさえ思う。何事もそうであろうが、過去の写真に目を見開き、研究することはとても大切である。
*この記事は『アサヒカメラ』2017年5月号特集「都市を撮る」より、私が担当した巻頭言「都市を撮る写真家」の一部を訂正のうえ転載させていただきました。