この記事を書くに当たって思い出されるのが、60年代から70年代の『アサヒカメラ』の記事である。具体的に何年・何月号・何頁とは思い出せないけれど、1960年代後半から写真を志すようになった私にとって、『アサヒカメラ』の記事は、例えば「植物写真」では牧野富太郎のような植物学のオーソリティーによる記事があったり、「天体写真」であれば天文学者による科学的な記事が添えられていたりとか、単に撮影技法に留まらず視野が広く、さすが新聞社の写真雑誌と感心させられ、写真を通じて多くを学ばせていただいた。

 今回「桜」の記事を書くに当たり、「桜とは?」と言われても私にはそういった植物に関する知識は持ち合わせていないので、まずは事典の力を借りて、誰しも毎年春に目にしながら、知っているようで知らない「桜の基本」から紹介していくこととしよう。


サクラとは?

 国語事典(スーパー大辞林)には「バラ科サクラ属の落葉高木または低木。北半球の温帯と暖帯に分布し20~30種がある。日本に最も種類が多く、奈良時代から栽植され、園芸品種も多い。春、葉に先立ちまたは同時に開花。花は淡紅色ないし白色の五弁花で、八重咲きのものもある。染井吉野が代表的であるが、山桜・江戸彼岸・大島桜・八重桜も各地に植えられている」とある。
 「春が近づくにつれ、さまざまな桜が咲いていく。まだ肌寒い早春から咲き始めるのはカンザクラ(寒桜)やカンヒザクラ、それからエドヒガンである。つづいてソメイヨシノ(染井吉野)、オオシマザクラやヤマザクラ、さらに北上し北海道ではオオヤマザクラが開花していく。それぞれの地域には自慢の桜の名所があり、日本列島が春爛漫の色に染まっていく。
 次に登場してくるのが、いわゆる八重桜といわれる重弁の園芸品種・栽培品種・サトザクラ(里桜)で、日本の春をますます盛り上げてくれる。
 春は桜といわれるように、その多くは春に開花するものが多いが、なかには冬や秋などにも開花するフユザクラ(冬桜)やジュウガツザクラ(十月桜)、そしてフダンザクラ(不断桜)などもある。
 ふつう桜色というと淡いピンク色を思い浮かべるが、白いものから紅色、さらに濃い紅色のものまである」(『さくら百科』丸善) 

 桜の概要はこれくらいにして、本題の桜の写真に移ろう。

 これまで桜を捉えた多くの写真作品は、桜そのものを主題あるいはテーマとした作品と、写真集や写真展などで作品の一部に桜を取り込んだものに大別されるのではないだろうか。

 いずれにしても、桜は多くの写真家にとって、というよりカメラを持ったことのある人にとっては、カメラを向けたくなる題材のナンバーワンとして富士山と双璧と言えるのではないだろうか。もっと言えば、カメラを持とうが持つまいが、人をうっとりと、とりこにして余りある美しい魅力をたたえた花であることに間違いはない。その証拠に写真はもちろん、絵画、音楽、文学においても数限りなく登場する桜である。


桜をテーマにした作品

 桜をテーマにした写真集あるいは写真展には、ぱっと気づいただけでも、日本を象徴する花として格調高く捉えた一村哲也写真集『さくら花』(1992年、日本カメラ社)、ユニークな実験的試みを駆使するコンセプチュアルフォトで今や名高い山崎博の二つの写真展──超望遠(4700ミリF90)でクローズアップした「櫻」(1990年、ツァイト・フォト・サロン)と、ストロボとNDフィルターとフィルムカメラを使ってのアウトドアでのフォトグラム「櫻花図」(2001年、銀座ニコンサロン、第26回伊奈信男賞)、対照的にオーソドックスなネイチャーフォトグラファーの鈴木一雄写真集『櫻の聲』(2010年、日本写真企画)、とてもカラフルな写真が特長的な蜷川実花写真集『桜』(2011年、河出書房新社)などがある。この特集でも活躍する五島健司の夜桜写真集『桜酔い』(2001年、そしえて)、森田敏隆写真集『一本桜 百めぐり』(2004年、講談社)もある。

 そんな中で、私が代表的な桜として挙げたいのが、次の3氏の桜をテーマにした作品である。

 竹内敏信(1943年-)は、1972年頃までは写真展「汚染海域─伊勢湾からの報告」(ニコンサロン)に見られるようにドキュメンタリー写真家であったが、1974年頃から180度方向転換し、風景写真家となった。ここからは、まるで水を得た魚の如く邁進する。竹内はそれまでの風景写真家が主に使用していた大型カメラから35ミリ一眼レフに持ち替えて、交換レンズを駆使、アングル、フレーミングなどでもこれまでになく機動性を発揮して、革新的な風景写真家として一世風靡することとなる。

竹内敏信写真集『櫻』

 桜の写真集も『櫻』(1992年、世界文化社)、『山櫻』(1998年、出版芸術社)、『櫻暦』(1999年、出版芸術社)、『一本櫻百本』(2006年、出版芸術社)、と4冊にのぼる。

東松照明「さくら」福島・会津 1982
          東松照明 さくら 福島・会津 1982([Tokyo 曼荼羅]展カタログより)


 東松照明(1930-2012年)は、言わずと知れた日本を代表するシリアスフォトグラファー、社会派である。その彼が描いた写真集『さくら桜サクラ』(1990年、ブレーンセンター)は、文字通りと言おうか、当然と言おうか、単純に桜の美を追究したものではなくて、言わばあるがままの多様な桜を多様な情況のもとに描いて、桜を通して日本を描いた作品と言ってもよいであろう。ほかの桜とはハッキリと一線を画す。

 三好耕三(1947年-)は、大型カメラ8×10とモノクロームフィルムを駆使する写真家である。8×10に関しては、とっさに組み立てて瞬時に手持ちで人物スナップをこなす名手でもある。発表された2作品「櫻」(2003年)と「SAKURA 櫻覧」(2009年)は、いずれもフォト・ギャラリー・インターナショナル(P.G.I)での写真展。

三好耕三「櫻」展案内状より
     

          三好耕三「櫻」(2003年) P.G.I.作品展案内 


 櫻覧では16×20インチのカメラも使われている。モノクロームの桜の描写も新鮮だが、細かな花びら一つ一つの克明な描写には、ともかく目を見張らされる。

 以上、桜をタイトルに冠した写真集・写真展を私なりに見てきたが、もしや桜の写真は桜に限らない風景やスナップ集にもあろうかと、一転、わが家の蔵書(と言っても家庭用の本棚3つに収まった写真集)に目をやると、出てくる出てくる、さすが桜だ、と思い知らされる。以下、何点かをピックアップしよう。


桜を取り込んだ写真集

 まずは、植田正治の代表作『童暦』(1971年、中央公論社)を挙げよう。

植田正治写真集『童暦』より

 この作品集は春夏秋冬で構成されていて、1ページ目の「春」に桜の花束を手にする下駄を履いた学生服姿の少年が登場して、数ある桜の写真の中でもひときわ印象深い。
土田ヒロミ『新・砂を数える』

 一転、土田ヒロミ『新・砂を数える』(2005年、冬青社)は、1976-1989年のモノクロームの「砂を数える」と1995-2004年のカラー「新・砂を数える」を合わせた豪華本。花見に押し寄せた多くの人と共に枝垂れ桜の大木がカラフルに捉えられている。

 梅佳代『うめめ』(2006年、リトルモア)は、小ぶりながら思わず吹き出すユーモアに溢れる写真集だ。

『うめめ』

 桜は3点ほど登場するが、頭にのった花びら一枚が秀逸。若き梅佳代の自由闊達なスナップが素晴らしい。第32回木村伊兵衛写真賞受賞作。


『熊野 雪 桜』

 鈴木理策『熊野 雪 桜』展東京都写真美術館公式カタログ(2007年、淡交社)は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」ではないけれど、この写真展の会場構成は見事で、熊野、雪、桜がどれも目に鮮やかで印象深い。
 
『はなはねに』


 小林紀晴『はなはねに』(2008年、情報センター出版局)は、米国で「9.11同時多発テロ」に遭遇しながら帰国、結婚、子供の誕生といった思いが、まるで小説を読むように展開する。淡い桜と子供が見開きで構成されている。

『かぎろひ』

 榎本敏雄『かぎろひ 陽炎[櫻・京・太夫]』(2009年、平凡社)は、モノクロームながら咲き誇る桜をはじめ京の情景を深い黒を基調にどっしりと、そして艶やか表現した秀作。

図録『旅する写真』
 

 平成21年度東京都写真美術館収蔵展「旅」の図録『旅する写真』(2009年、旅行読売出版)には、撮影者不詳だが、「桜花と人力車」(1870-90年[JAPAN]より)という手彩色を施された作品が表紙に掲載された。

『京都 さくら帖』
 

 橋本健作『京都 さくら帖』(2009年、光村推古書院)は、京都の桜の名所114ヵ所を収録したガイドブックとして秀逸。

佐藤信太郎写真集『東京│天空樹』
 

 佐藤信太郎『東京│天空樹』(2011年、青幻社)は、大判の写真集で展開するパノラマ写真は迫力満点。浅草の花見の光景もひときわ見事である。第21回林忠彦賞受賞作。

『ふるさとはれの日』
 

 齊藤亮一『ふるさとははれの日』(2015年、冬青社)は、日本各地の祭りの日のスナップ集。そのほどよい距離感から捉えられた人物像が生き生きとして素晴らしい。

 最後は、空からの桜2点。一つは自ら設計した4×5インチカメラを携えてプロペラ機から捉えられたこの道のオーソリティとも言える芥川善行の『1000feet』(1997年、セキ)。

芥川善行の写真集『100feet Yoshiyuki Akutagawa』

北海道から沖縄までの海や山を交えたフォトジェニックな風景をスケール豊かにダイナミックにそして造形的に捉えた中の「Spring has come」と題された4点の桜。A3を上まわる天地40.6cm×左右32.3cmの豪華本である。

『空飛ぶ写真機』

 もう一つは、林明輝の『空飛ぶ写真機』)2015年、平凡社)。こちらも地上からでは捉えられないドローンならではのアングルからの新鮮でダイナミックな風景。桜の作品では見開きで「サクラと花時計」などがある。


新川幸信の言葉

 最後に、1960年代から1986年に亡くなるまで『カメラ毎日』『アサヒカメラ』『日本カメラ』でカメラメカニズムライターとして活躍された新川幸信の言葉で締めくくりたいと思う。これは氏が教えていた写真クラブの1974年の記念写真集に掲載された文章の一部である。

 「写真の技術は、カメラメカニズムの進歩によって、かつての人たちに課せられたものの何分の1かに減少している。“写る”という点では、経験はもうまったく必要ない。

 しかしこのクラブの、そしてボクの考えている写真とは、そんなものではない。何を、どのように撮るか、そこに写真の作者の考え方、もっと端的には生きざまが現われるはずだ。いうならば、すべての写真は自画像でしかない。だから“写真を教える”ことはあり得ない。

 その点、このクラブは多士済々といえる。それぞれに一家言を持つウルサ方ばかりだからだ。写真に淫することさえなければ、今後の発展は大いに期待できよう」

 これが書かれた時代はやっとカメラの自動露出が完成したところである。1986年全自動35ミリ一眼レフが登場し、今やそれがデジタル時代となって、自動化もフィルム時代と比べようもないほど進化した。氏の言葉はさらに説得力を増したと言えよう。

この記事は『アサヒカメラ』2017年3月号特集「桜風景の表現を極める」より私が担当した巻頭言「桜に魅せられた写真家」を一部訂正のうえ転載させていただきました。