カテゴリ: 「合唱団ききゅう」

 私が所属する「合唱団ききゅう」の望年会が、昨年、12月23日におこなわれた。

「合唱団ききゅう」2015望年会

それはそれは、楽しかった。その理由は、今年、11月21日に名古屋で行われた日本のうたごえ祭典in愛知(一般の部Aに55団体が参加)で、見事、第一位・金賞に輝いたからだ。その盛り上がりかたも昨年(銀賞)とは違った。指揮者の玉山マオさんとピアノ伴奏のわたなべよし美さんに支えられてこの一年間、練習を積み重ねた結果である。自画自賛もちょっとあるけれど、Live録音を聴くと、曲目の「閃光」(作詞・作曲:なかにしあかね)と「いま!」(作詞:まど・みちお、作曲:木下牧子)は、ソプラノ、アルト、テナー、バスのバランスが良く、さらに冴えわたったピアノの迫力が素晴らしかった。全体的にこれまでになく柔軟で、そして力もあった。「柔よく剛を制す」の心境でもある。

 それでは、この一年(2015)の「合唱団ききゅう」をざっと、振り返ってみよう。練習曲は、次から次へとあったので、とてもすべては思い出せない。iPhoneの録音リストを見てみよう。

 2015年1月は、「逢いたい」(作詞:星野富弘、作曲:なかにしあかね)と「希望のうた」(作詞:きむらいずみ、作曲:武 義和)から始まった。「逢いたい」は切々と歌う情熱的な曲である。「希望のうた」は震災後の明日をめざす曲だ。そのあとは、「ほらね、」(作詞:いとうけいし、作曲:まつしたこう)とか「あい」(作詞:谷川俊太郎、作曲:武 義和)、「閃光」(作詞・作曲:なかにしあかね)、「群青」(作詞:福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生、構成:小田美樹、作曲:小田美樹、編曲:信長貴富)、「旅立ち」(作詞、作曲:なかにしあかね)、「いま!」(作詞:まど・みちお、作曲:木下牧子)、そして小学校の課外活動ではジブリメドレーとも言える「崖の上のポニョ」(作詞:近藤勝也、補作詩:宮崎駿、作曲:久石譲、編曲:若松正司)、「やさしさに包まれたなら」(作詞・作曲:荒井由美、編曲:若松正司)、「君をのせて」(作詞:宮崎駿、作曲:久石譲、編曲:源田俊一郎)、「小さな写真」(作詞:宮崎駿、作曲:久石譲)、トトロメドレー「風のとおり道」(作詞:宮崎駿、作曲:久石譲、編曲:源田俊一郎)~「となりのトトロ」(作詞:宮崎駿、作曲:久石譲、編曲:源田俊一郎)~「さんぽ」(作詞:中川李枝子、作曲:久石譲、編曲:源田俊一郎)も歌った。

 また、前述の日本のうたごえ祭典in愛知出場の埼玉県予選と、2015所沢市民合唱祭ではなかにしあかねの「閃光」と「旅立ち」の2曲を歌った。

 曲で印象深かったのは、やはりいちばん時間をかけて歌った「閃光」「旅立ち」「いま!」、そして「群青」である。特に印象的な詩をふたつ挙げておこう。


「閃光」(混声合唱とピアノのための組曲「旅立ち」より)

駆け抜けて行け/駆け抜けて行け/光のように 風のように/駆け抜けて行け

まとわりつく靄も/立ち込める霧も/閃光のごとく/駆け抜けて行け

影はただ ついてくるのみ/迷いはただ 木々のざわめき

駆け抜けて行け/駆け抜けて行け/光のように 風のように/ただ 青く透明な水で/心を満たせ

今 放たれる 光

「群青」プログラム
                            「群青」の楽譜

「群青」

ああ あの町で生まれて/君と出会い/たくさんの思い抱いて/一緒に時間(とき)を過ごしたね/今 旅立つ日/見える景色は違っても/遠い場所で 君も同じ空/きっと見上げてるはず

「またね」と 手を振るけど/明日も会えるのかな/遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない

あの日見た夕陽 あの日見た花火/いつでも君がいたね/あたりまえが 幸せと知った/自転車をこいで 君と行った海/鮮やかな記憶が/目を閉じれば 群青に染まる

あれから2年の日が/僕らの中を過ぎて/3月の風に吹かれ 君を今でも思う

響け この歌声/響け 遠くまでも/あの空の彼方へも/大切な すべてに届け/涙のあとにも 見上げた夜空に/希望が光ってるよ/僕らを待つ 群青の町で

きっと また会おう/あの町で会おう/僕らの約束は/消えはしない 群青の絆

また 会おう 群青の町で・・・

                   *   *   *
 

2015所沢市民合唱祭プログラム
                           「2015所沢市民合唱祭」プログラム
「旅立ち」楽譜
                   なかにしあかね作詞・作曲の混声合唱とピアノのための組曲「旅立ち」楽譜
 今年、印象に残ったのは、もちろん「合唱団ききゅう」が日本のうたごえ祭典in愛知で第一位の金賞に輝いたことがあるのはもちろんだが、「2015所沢市民合唱祭」で講師を務められた山本健二さん(永く早大グリーンクラブを指導されたバリトン声楽家)の言葉──(私の経験から言えば)声楽は練習をすればするほどうまくなる。ただし(世界最高のバリトン)ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウは超えることはできない──であった。最終的には持ち合わせたそれぞれ各人の能力により差はあるけれど、練習により限りなく持ち合わせた能力を極められるということであろう。私は、言うことさえおこがましいけれど、まだまだノビシロがたっぷりとある一兵卒だが、皆さんの足を引っぱることなく挑戦するのみである。今年は「合唱団ききゅう」のコンサートが9月4日に所沢市民文化センターの大ホール「ミューズ・アークホール」で開催され、何と!なかにしあかねの混声合唱とピアノのための組曲「旅立ち」と混声合唱組曲「ひとつの時代」を歌うことが決まったのだから、ただただ、練習あるのみである。

〈20151030_No.102/河野和典〉

 音楽は文字通り、聞くのも、演奏するのも楽しいことなのだが、得てして楽が苦になってしまうことがある。知らぬ間に欲望が強くなって、必要以上に力が入ってしまうのだ。

「合唱団ききゅう」コンサート2014リハーサル

2014年「合唱団ききゅう」コンサートリハーサルで打ち合わせをする玉山マオ、絢一朗の両先生

(撮影・髙藤竜摂) 

 10月28日(水)、我が(私の、ではなくて私が所属する)「合唱団ききゅう」の練習に玉山絢一朗(けんいちろう)さんがやって来た。玉山絢一朗さんは、我が「合唱団ききゅう」の指揮者・玉山マオ先生のパートナー、つまりご亭主である。管楽器奏者としてプロ中のプロである。現在の肩書きは音楽アドバイザー。「合唱団ききゅう」がコンサートを開催するとか、全国大会に出場するとか、その練習の最終段階にご登場する。今回は11/7(土)の所沢中央公民館まつり、11/21(土)の2015年日本のうたごえ祭典in愛知における合唱発表会出場を控えてのことであった。 

 練習の1曲目、「群青」(作詞:福島県南相馬市立小高中学校 平成24年度卒業生(構成・小田美樹)、作曲:小田美樹、編曲:信長貴富)の冒頭、「ああ あの町で」を発声したところで早速、絢一朗先生から声が飛んだ。「なぜ不用意に漫然と声を出すの」「声を出す準備がまったくできていない」。この指摘は昨年の練習でも聞いたことである。まず息を整え、どういうポジションからどういう方向へどんな声(息)を出すのか準備しなければということだ。再度歌い「生まれて 君と出会い たくさんの思い抱いて 一緒に時間(とき)を過ごしたね」と続いたところで2回目の声が飛んだ。「ここのところはどこでブレスをするの?」、マオ先生「ここは各自カンニング・ブレスです」、絢一朗先生「それならそれでいいけれど、声を出す寸前のブレスがとても目立ってみっともない」──これは日頃、マオ先生に口をすっぱく指摘されていることである。聴く人が聴けばすぐバレるということだ。約5分と比較的長い「群青」の最後、「また 会おう 群青の町で・・・」のところ、今度はマオ先生より「強(大き)すぎず、声の幅を狭めて、下から上へではなく、上から下へ弧を描くように発声するように」と指示された。

 練習2曲目は2015年日本のうたごえ祭典in愛知でも歌う「閃光」(作詞・作曲:なかにしあかね)。2分20秒ほどの短い曲だが、スピード感あふれ、声を揃えるのが難しい曲である。軽快なピアノの前奏から「駆け抜けて行け 駆け抜けて行け」と歌い出したが、やはりすぐに絢一朗先生から止められた。「ピアノの軽快な伴奏にうまく乗っかってリズム良く歌い出すように。まだもたついている」「各パートの声がバラバラで揃っていない」「言葉がハッキリと伝わってこない。特に“行け”のところはもっと丁寧に発音するように」と。そして最後のところ「今 放たれる 光」では、「最後のクライマックスだからと言って、何で頭からそんなに力まかせに声を出すんですかね。ちっとも気持ちよく響いてこない。もっとクレッシェンドを付けるように」と指摘された。確かに、つい先日の、2015年日本のうたごえ祭典(予選)埼玉県大会ではこの曲を歌って1位通過したのだけれど、そのライブ録音を聴いて愕然としたものだ。それは声だけは大きいのだが、粗く、ささくれだったようで決して軽快な疾走感を伴った「閃光」の美しいイメージとはほど遠い音楽であったからだ。今回、絢一朗先生の指摘を受けて練習を繰り返し、粗雑さが随分と影をひそめ「閃光」のイメージがだいぶシャープに響くようになったと思われた。


〈2014.11.17.No.89/河野和典〉 

「合唱団ききゅう」2014コンサート
「合唱団ききゅう」2014コンサート 

 今月22日に仙台で開催される「2014年日本のうたごえinみやぎ」での〈全国合唱発表会〉出場を控えた「合唱団ききゅう」の練習(2014.11.12)に突然、音楽アドバイザーの玉山絢一朗先生が訪れた。予告なしだったので一同みな驚きであった。

 絢一朗(ケンイチロー)先生は、練習会場へ入ってくるなり、開口一番「いま、入口でちょっと耳にしたけれど、相変わらず縦の線がバラバラで揃ってないね」であった。そして再開された「いつも始まりのように」(石原真知子・作詞、原田義雄・作曲、シモシュ・編曲)の冒頭部分を聴かれ、即座に「出だしがバラバラ」「指揮棒に合わせて、ただ漫然と歌っている」「緊張感が感じられない」「もっと意識を集中させて」「大体、歌い出しの口の開け方が揃ってない」「指揮に合わせて各人が思い思いにやおら口を開けるのでは揃うわけがない」「最初から口を開けた状態からはじめたら」「つまり歌う準備(セットアップ)が出来ていない」、それから「冒頭の〈さあ でかけようー〉の『さあ』の子音の発声が柔らかい人もいれば硬い人もいてバラバラ」「ここをまず、全員でどう発声するのかを統一しなければいけない」とまくし立てられた。みんなの準備が整うまで指揮者は指揮をはじめてはいけない、とも。そしてついには、「棒ナシ、目をつむって歌ってみて」と。こうなってやっと、全員の緊張感が高まり、集中力が増してきたようであった。

 中盤の(やさしい声で包み込むように)と指示された [woo- Ah-]のハミングの箇所では、「そもそもこのハミングが、なぜここにあるのかわかりますか?」「もっと考えて歌わないと」「みんなの歌い方ではデリカシーが足らない」「ここでの8分音符はポイントですよ」と、プロの管楽器奏者らしい指摘をされる。一音一音の高低、長さ(時間)についての指摘は、さすが厳格である。その後、指摘を受けながら何度も繰り返し、何とかこの曲を通して歌うことができた。そして、やっと大先生から良かったと、最後にOKをいただくことができた。

 前回の「合唱団ききゅう」35周年記念コンサート前の練習につづいて、今回も「全国大会」本番前に、とても貴重なレッスンを受けられてラッキーであった。またしても、大先生に感謝である。

〈2014.8.24.No.84/河野和典〉

ききゅうコンサート2014
 私が所属する「合唱団ききゅう」は、来月9月20日(土)、16:30から、所沢市民文化センター ミューズ大ホールで開催の創立35周年記念コンサートまで1ヵ月を切り、練習にも力が入ってきました。日曜日の今日、10:00より16:30まで予定時間をオーバーしてもめげることなく、目一杯練習を行いました。
 今日の特別練習には、特別アドバイザーとして玉山絢一朗(たまやま けんいちろう)さんをお招きいたしました。玉山絢一朗さんは「合唱団ききゅう」の指揮者・玉山マオ先生のパートナーです。武蔵野音大では管楽器(トランペット)の先生をされ、マオ先生が声楽科の生徒だったときに出会われたそうで、いわば大先生とも言える存在です。
 それはさておき、師の今日の教えは、とても鋭い指摘を連発されて、「合唱団ききゅう」にとってはとても貴重な特別授業でした。総じてまず、曲の出だし、「踏ん張り過ぎて、しかもぶっきらぼうに声を出しすぎる」。それと基本的なこととして、「第一声を発する前に息を整え、発声の準備を怠らないこと」。というものでした。そして「歌うべきところでは朗々と歌い、語るべきところでは歌詞の意味が途切れないように詩のつながりを重視して歌うこと」。「合唱の魅力は、ピアニシモからフォルテシモまで、メリハリを付けて全員が息を揃えて歌うこと、それによって曲は起伏に富み、曲のメッセージが聴き手に伝わるのだ」と、力説されたことでした。
 考えてみれば、いずれも音楽の基本なのですが、曲の流れに沿って、1曲1曲細かく指導を受けると、これまでいかに惰性で歌っていたかが良く分かり、まさに“目からウロコ”でした。
 このような鋭い指摘を受けて、これまでとは装いも新たになった曲も出現しました。今回のコンサートでも披露する《シーラカンスをとりにいこう》です。出だしを「ささやくように」歌うことで今までになく新鮮な曲となりました。魅力倍増です。このような絢一朗先生のざっくばらんな数々のご指摘は、ほかでは得られない大変貴重なものでした。感謝感謝です。
 「合唱団ききゅう」は約30人のアマチュア市民メンバーで構成されています。すぐれた女性の指揮者・玉山マオさんと名ピアニスト・わたなべよし美さんのサポートにより、2010年の長崎、2012年の広島、2013年の大阪で開催された「日本のうたごえ祭典」全国大会ではトップ金賞を受賞するという歴史を持ちます。
 どのような曲を歌うのかと言えば、基本的にはクラシックに軸足を置きながらも、ポピュラーも歌います。総体的にはその中間くらいと言ったところでしょうか。
 今回のコンサートは、「出発(たびだち)の歌」というタイトルのもと、震災後の〈復興〉とこれからの〈平和〉を希求する曲を披露させていただきます。
 会場の所沢市民文化センター ミューズ大ホールは、パイプオルガンの設備もあり、1千8百人をも収容する、音響効果も素晴らしい会場で、一聴の価値大いにありです。みなさんは、公私に渡ってとてもお忙しいこととお察しいたしますが、たまには息抜きに、そして気分転換に、合唱のコンサートをお聴きいただけたら幸いです。お問い合わせは下記へ。
 TEL:04-2928-3369(加藤)、04-2995-6008(大鷲)、Mail:info@kikyuu.org 
 

〈2013.11.18.No.73/河野和典

日本のうたごえ祭典おおさか

「日本のうたごえ祭典・おおさか」のポスター

合唱発表会〈一般の部A〉出演順序

大阪の高槻現代劇場大ホールで行われた「全国合唱発表会」47団体出演リスト

 65周年記念を迎えた2013年「日本のうたごえ祭典・おおさか」は、11月2日(土)大阪城ホールで多くのゲストを迎えて盛大に開幕した。そして、毎年その一環行事として行われているコンクール形式の合唱発表会〈一般の部A(25名以下)〉は、11月4日、大阪の高槻現代劇場大ホールで、出演リストにあるように全国47団体が参加して開催された。予選を勝ち抜いて埼玉県代表として指揮・玉山マオ、ピアノ伴奏・わたなべよし美のもと、ソプラノ(8名)、アルト(8名)、テノール(4名)、バス(3名)の合計23名による混声四部で出場したわれわれ「合唱団ききゅう」は、昨年の広島大会、2010年の長崎大会につづいて、みごと3度目の金賞を受賞した。

 当日、歌った曲は「地球の鼓動」と「シーラカンスをとりにいこう」の2曲。「地球の鼓動」はスケールの大きな曲であり、「シーラカンスをとりにいこう」はコミカルでリズミカルな曲である。素晴らしい2曲なので以下に、歌詞を掲げよう。


「地球の鼓動」

(作詞:弥 勒〈み ろく〉、作曲:瑞木 薫〈みずき かおる〉)


聞こえてくるだろ 地球の鼓動が

寄せては返す波 はるかな時を越え


青い海原に 白い帆をあげて

風を感じたとき やさしさに抱かれる


空を焦がし 昇る太陽

憧れよりも もっと遠くに見える

夢の破片(かけら) 探しに行く朝が来たよ


春には春の 花が咲きほこり

夏には夏の 鳥が舞うよ 大空高く

もしもきみが いつの日にか

ひとりぼっちだと

めげそうな夜があったとしても


秋には秋の 星が瞬いて

冬には冬の 雪が頬で溶けていくよに

いつだって そばにいるよ

そっと包み込む 地球の

鼓動が聞こえてくるだろう



「シーラカンスをとりにいこう」

(作詞:県多乃梨子、作曲:横山裕美子)


ねぇ もしも あした空が晴れたなら

シーラカンスをとりにいこうよ でかけよう

君にも一匹は必ずつれるはず

シーラカンスをとりにいこうよ でかけよう


お弁当を作っていこう 僕が持つからさ

歌をうたっていこう 手をつなぎながら

君にも必ずつれるはず 約束するよ


晴れた川なら麦わらぼうし 雨の森にはレインコート

風吹く夜の野原なら 髪を束ねて でかけよう


ねぇ もしも あした雨がふるのなら

ステゴザウルスをとりにいこうよ でかけよう

君にも一匹は必ずとれるはず

ステゴザウルスをとりにいこうよ でかけよう


お弁当を作っていこう 僕が持つからさ

歌をうたっていこう 手をつなぎながら

君にも必ずとれるはず 約束するよ


シーラカンスにはつりざおで ステゴザウルスには おとしあな

ほちゅうあみを持ちだして プテラノドンを おいかけろ

ねぇ もしも あした風が吹いたなら

プテラノドンをとりにいこうよ でかけよう

プテラノドンをとりにさ

でかけよう

とりにでかけよう

4

演奏終了後、高槻現代劇場大ホール玄関前で充実した表情をみせる
「合唱団ききゅう」の出演メンバー(2013年11月4日、撮影・遠藤一郎)

キーポイントは「ストレート」から「カーブ」へ

 今回の練習で玉山マオ先生はこれまでになく、いずれの曲においても、「ストレートに目一杯歌うのではなく、もっと弧を描くように前に向かって歌いなさい」と、男性陣にハッパをかけた。これはどういうことかと言えば、(私なりに解釈すれば、)男性は女性に比べると武骨で、デリケートさと柔らかさに欠ける。今回歌う「地球の鼓動」はバスにとっては音程が高く、スケール豊かに張り上げるように歌う箇所が多く、どうしても力んで硬く、声を思い切りストレートに張り上げてしまう。そうすると声に余裕がなく苦しく、聴く側にとってはちっとも心地よくならない、ということである。そこで、「ストレート」から「カーブ」へということである。まるで野球だが、肩の力を抜いて身体をほぐし、余裕をもってお腹の底から額に目がけて発声すると、何と柔らかく声が伸びるというわけだ。音も生き生きとするのだが・・・。


まだまだノビシロはたっぷり

 金賞になったとは言え、審査員の講評に、「男性陣は音程が悪く、子どもっぽい」という厳しい評が寄せられた。これはひとえに私のことを言われているように感じられた。ここは、謙虚に受け止めよう。金賞受賞とはいえ、まだまだ私にはノビシロがたっぷりあるということであろう。決して「音楽のための音楽」にならないように精進しようではないか。音楽は深いのだから。


↑このページのトップヘ